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麦音の横にあるビート資料館|十勝を走っていた鉄道と、てん菜の記憶

麦音の横にあるビート資料館

帯広地元ランチのページでも紹介している、ますやパン麦音。

観光客も多く、十勝に来ると立ち寄る人も多い人気スポットだ。

焼きたてのパンを買い、芝生を眺めながらのんびり過ごす。十勝らしい時間が流れている。

でも、そのすぐ横にある「ビート資料館」までは入ったことがない人も多いかもしれない。

ビート資料館の外観
ビート資料館

正直、私も最初はそうだった。

「ビート」という言葉は知っていた。

砂糖の原料になる、北海道らしい農作物。

でも、それ以上のイメージはあまりなかった。

ところが実際に入ってみると、そこには“十勝そのもの”みたいな歴史が詰まっていた。

十勝の風景は、てん菜が作った

十勝を走っていると、とにかく畑が広い。

まっすぐな道。
防風林。
大型トラクター。
どこまでも続く空。

「北海道らしい景色」と言えば、それまでだ。

でも、その景色は自然に生まれたわけではない。

この土地では、ビート(てん菜)という作物が巨大な産業となり、それを運ぶために鉄道が敷かれ、工場ができ、人が集まり、街が発展していった。

1921年(大正10年)。

現在の日本甜菜製糖が、ビートを工場へ運ぶために敷設したのが十勝鉄道の始まりだった。

最初は貨物輸送専用。

しかし後に旅客営業も始まり、帯広市街と川西地区を結ぶ地域の足としても活躍したという。

つまり、観光鉄道ではない。

生活鉄道だった。

「こうじょうまえ」という駅名が残っていた

資料館の外には、実際に使われていた線路や駅名標も展示されていた。

こうじょうまえの駅看板

「こうじょうまえ」

なんとも実務的な駅名である。

でも逆に、それが良かった。

おしゃれに再現された観光施設ではなく、「本当にここに工場があり、本当に人が通っていた」という生活感が残っている。

蒸気機関や巨大な機械も展示されていた。

ビートを加工し、砂糖を作り、工場を動かす。

今では静かな資料館になっているが、かつてここには熱気や蒸気の匂いがあったのだろう。

義理の父も、この鉄道に乗っていた

そして今回、一番印象に残ったのはここだった。

義理の父は、帯広畜産大学に通っていた頃、この鉄道を利用していたそうだ。

十勝鉄道の車内で笑顔を見せる学生たちのモノクロ写真。木製車両の内部に、通学や移動をしていた当時の空気感が残る。
通学や通勤の足として、地域の日常を支えていた。
十勝鉄道の駅で列車から降りる学生たちのモノクロ写真。制服姿の子どもたちが線路を渡り、地域の生活鉄道だったことを感じさせる一枚。
観光列車ではなく、地域の暮らしを支えていた“生活鉄道”だった。

帯広駅から列車に乗り、工場の横を通り、大学へ向かう。

その話を聞いた瞬間、それまで「歴史展示」だったものが急に立体的になった。

ああ、この鉄道は昔の誰かの話ではない。

ちゃんと家族の時間につながっているんだな、と。

北海道の歴史は、意外と近い。

100年以上前の開拓史なのに、親世代の記憶と普通につながっている。

そこが、本州の歴史展示とは少し違う感覚なのかもしれない。

「トテッポ」は十勝鉄道の記憶だった

資料館を出たあと、近くの「とてっぽ通」を歩いた。

最初は名前の意味も知らなかった。

でも調べてみると、「トテッポ」とは、かつてこの地を走っていた十勝鉄道の愛称らしい。

ビートを運び、
人を運び、
十勝の発展を支えた鉄道。

その廃線跡は、今では静かな遊歩道になっている。

そして、その横には「十勝トテッポ工房」がある。

昔、砂糖の原料を運んでいた鉄道の記憶が、今はスイーツの名前として残っている。

それが、なんだか十勝らしいなと思った。

産業の歴史を、ただ保存して終わるのではなく、ちゃんと今の暮らしにつなげている。

だから、この街の歴史には温度がある。

麦音のついでに、ぜひ寄ってみてほしい

帯広観光というと、

豚丼、
スイーツ、
温泉、
六花亭、
ナイタイ高原。

どうしても「食べる十勝」が中心になる。

もちろん、それは間違っていない。

でも、もし少しだけ時間があるなら、麦音の横にあるビート資料館にも立ち寄ってみてほしい。

十勝の景色が、
「ただ広い畑」ではなく、
「人と産業が作ってきた風景」に見えてくる。

そんな場所だった。

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