この夏、長野の菅平を目指したそもそもの発端は、大学の先輩から舞い込んできた一本の電話だ。
先輩は今、地域おこし協力隊として会津若松に住んでいて、「面白いこと考えてる宮司さんがいてるんやけど。ちょっと相談に乗ってくれへんか」という、よく分からない依頼。
面白いこと、というのは「神社の境内でキャンプがしたい」というものだった。
当初、関西から菅平まではのんびり下道で行くつもりだったが、この相談を受けて出発を三日早め、日本海をぐるっと回って福島県に入ってから長野へ抜ける、という、いささか大回りなルートに変更になった。
まあ、旅なんてものは寄り道こそが本筋だから、全然問題はない。
先輩の案内でたどり着いたその神社は、なかなか趣のあるところで、宮司さんの許可を得てさっそく境内に車を停め、テントを張らせてもらった。ここが今宵の宿だ。
しかし、テント設営が終わり、ふと腕と脚を見ると、もう見事なまでに蚊の襲来にあっている。これはヤバい、先が思いやられるぞ、と不安を抱えながら近所の銭湯へひとっ風呂浴びに出かけた。
戻ってきてみれば、なんということだろう。俺のテントの四隅に、巨大な蚊取り線香が焚かれ、まるで神聖なる結界のように煙を上げているではないか!
「これで大丈夫でしょう」
そう言って笑うのが、今回の主役、山形出身で会津若松に転勤してきたという、人の良さそうな宮司さんだ。この粋な計らいに、旅の疲れと蚊の恐怖が一気に吹き飛んだ。
まずは先輩と居酒屋へ繰り出し、ビールをグビグビ。二軒目からは宮司さんも参戦し、さらに話は弾む。
宮司さんの話を聞いていると、これがなかなかどうして厳しいのだ。神社の運営は基本、宮司さん任せの個人事業主だという。
何か修繕しようにも、お金は自分で工面しなければならない。掃除も修理も、誰かに頼めるわけじゃない。たった一人でこの大きな神社を守っているのだ。「厳しすぎる、これは」と俺は思わず唸った。
しかし、宮司さんの顔に悲壮感はない。それどころか、「神社に人が集まって欲しい」という熱い思いを持っている。「人が集まって賑わうと、神様が喜ぶんですよ」という言葉が、妙に心に残った。近所の小学校を巻き込んだイベントもやっているとか。このバイタリティ、只者ではない。
酒が進み、酔いも深くなった頃、我々は神社へと舞い戻った。
境内に入ってすぐ、先輩がゴロリと横になり、盛大なイビキをかき始めた。まるで社殿の守護犬のように、神聖な境内でぐっすり眠る姿を見て、宮司さんと俺は顔を見合わせて笑った。
そして、今度は宮司さんと俺のサシ飲みだ。夜の静寂に包まれた会津若松の街で、向かったのは小さなスナック。
ここでまた、あの話になる。
「とにかく、人が集まると神様が喜ぶんです」
真剣な宮司さんの言葉に、俺は日本酒を飲み干す。
そうか、神様だって、一人でいるより大勢で賑やかにしていた方が楽しいだろう。神社の未来は、この厳しい個人事業主にかかっている。
会津若松の夜は更けていき、俺の日本海経由の旅は、神様と人間、そして個人事業主の宮司さんの、少しユーモラスで、でも真剣な物語に触れることになったのだった。


