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【写真集】木曽の桟|長野・木曽

赤い木曽の桟
長野県教育委員会による木曽の桟史跡説明看板の写真。昭和41年3月31日指定の県史跡。看板は横長の茶色い背景に、左上に中山道木曽十一宿の宿場地図(贄川宿から馬籠宿まで)、右側に縦書きの解説文を配置。本文では応永年間(1394-1428)の桟道設置、正保4年(1647年)の焼失、慶安元年(1648年)の石垣化工事(875両)、寛保元年(1741年)と明治13年(1880年)の大改修、明治44年(1911年)の国鉄中央線工事による木橋撤去の経緯を説明。看板周囲は草木に囲まれている。
木曽の桟の正岡子規句碑。御影石に草書体で「かけはしやあぶない処に山つつじ」と刻まれた石碑。周囲は草木に囲まれている。
木曽の桟の芭蕉句碑。「芭蕉翁句碑」と楷書体で刻まれた古い石碑。苔むして風化が進み、背景は緑豊かな木立。
木曽の桟近くの赤い鉄骨橋「かけはし」。トラス構造の歩道橋から木曽川渓谷を望む。青空と緑の山々が広がる景観。
木曽の桟付近の木曽川渓谷。深緑色の清流と花崗岩の奇岩が特徴的な景観。両岸は緑豊かな森林に囲まれている。
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木曽の桟 基本情報

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項目内容
名称木曽の桟(きそのかけはし)
別名波計の桟(はばかりのかけはし)
所在地長野県木曽郡上松町上松
指定長野県史跡、日本百名橋番外
歴史応永7-14年(1400-1407年)桟道設置、正保4年(1647年)焼失、
慶安元年(1648年)石垣化、明治44年(1911年)木橋撤去
構造当初は木製桟道、後に石垣(長さ約102m)
関連施設桟温泉、かけはし(赤い橋)、木のかけはし
文学松尾芭蕉、正岡子規などの句碑あり
アクセスJR中央本線上松駅より車で約5分、国道19号沿い

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