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北海道・十勝 晩成社跡地へ迷い込む – 明治の夢と牛ののんびり感

木造の小屋を背景に、黄色いシャツを着た人物が笑顔で歩いているイラスト

十勝エアポートすぱでひとっ風呂あびて、さて帯広に戻ろうか──と車に乗り込んだところで、ふと地図の片隅に「晩成社跡地」という文字を見つけた。

晩成? 大器晩成の晩成か。どこかで聞いたような……そうだ、昨日、帯広百年記念館で耳にしたばかりだ。これは行ってみろという天啓かもしれない。急きょ予定変更、ハンドルを切る。


目次

午後の迷走ドライブは牛まかせ

雨があがり、空が明るさを取り戻してきた。牧草地では牛がのんびり草を食んでいる。牛というのはいい。見ていると、こちらまで腹の底からのんびりしてしまう。

ホロヤカントー線を走る。名前の響きが妙に間抜けで、どこか愛嬌がある。看板を探すもなかなか見当たらない。まあGoogleマップがあるから大丈夫だろう──と油断していたら、案の定「ここを左折せよ」と冷静に指示してくれる。ほんと便利な時代だ。

舗装路から砂利道へ。ガリガリとタイヤが鳴る。ほんの数秒でタイムスリップしたような気分になる。14時に晩成社跡地に到着。


明治の青年、親の反対を無視して開拓へGO!

現地の解説板を読む。
なるほど、明治16年、依田勉三という人物を中心に、理想の共同体を作ろうと集まった若者たちがいたのだという。名前の「晩成社」は、大器晩成から。いかにも明治の青年らしい発想だ。

現代で「理想郷を作る」と言い出したら、親に止められ、友人に笑われ、銀行に門前払いだろう。だが彼らは本気だった。サイロや「あみそら歌」もここから生まれたというから驚きである。


板張りハウスと半地下スーパー

跡地には復元された小屋がぽつんと建っている。見るからに寒そうな板張りの家。

中を覗くと、大きな甕や木の道具、天井から吊るされたランプが目に入る。電気のない夜の暗さを想像するだけで背筋が冷える。

そして印象的だったのが、草に覆われた半地下の貯蔵庫。冬を越すための知恵が、今もそのまま残っている。

コンビニの棚に慣れた身には、食料を保存する苦労など想像もできない。


理想は消えても、種は残る

短い時間ながら、明治の理想主義者たちの足跡を体感できた。

車窓の向こうには、一面の畑が広がっている。晩成社の理想は完全には実らなかったかもしれないが、その精神は十勝の大地に根を下ろし、今に続いているのだろう。

歴史散歩も悪くない──そう思いながら帰路についた。ただし、砂利道で車が泥まみれになったのは、ちょっと計算外だったけれど。


なりさん

牛も草
明治の夢も 晩成す


このときの旅の記録がこちら▼

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基本情報

草に覆われた半地下式の木造貯蔵庫跡。入口は低く、木材が時を経て朽ちかけている。
項目詳細
正式名称晩成社史跡公園
住所〒089-1881 北海道広尾郡大樹町生花
連絡先01558-6-2133(大樹町生涯学習センター)
アクセス大樹町役場から車で30分
歴史明治16年(1883年)晩成社が帯広に入植
明治19年(1886年)大樹町で牧場開設
主要遺構・依田勉三住居復元(明治26年〜大正4年居住)
・井戸跡
・サイロ跡
・ムロ跡
・もみじひら歌碑
・祭牛之霊碑
復元住居詳細三分割構造:畳4帖敷居間・土間・風呂場と物置場
復元年平成元年10月(文化財保存建物協会指導)
開拓の特徴・バター(マルセイバター)製造
・チーズ試作
・缶詰製造
・半地下式サイロ建設
・時代を先取りした酪農経営
歴史的意義十勝地方の農業・酪農の基礎を築いた
民間主導による開拓事業の先駆け
管理大樹町教育委員会社会教育課

晩成社跡地の写真集がこちら▼

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